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2011年 11月 13日
正直言って、登山らしい登山をした記憶なんて、生まれてこの方いっぺんもない。
しいて言えば、小学校の時に登った高尾山か、中学の林間学校で行った那須高原くらいか。 登山どころか最近では、駅の階段を登っても息切れがする。 そんなんだから、エベレストに登る人なんて人類の中でも特別のそのまた特別な人、みたいな思い込みがあった。 だから10年くらい前、登山家の野口健さんがテレビで「実はエベレストはゴミだらけ」と発言しているのを聞いて、非常に驚いた。 テレビにはエベレストの麓をニコニコ笑いながらトレッキングしている、普通の人々の姿がたくさん映っていた。 中村玉緒がゴミ処理会社の社長を演じるあるサスペンスドラマシリーズで、その社長はいつも「人間のいるところにゴミあり」と力説するが、まさにエベレストもそんな状態になっているらしい。 そういえば、ガラパゴスも世界遺産に登録されてから現在に至るまで、ゴミに悩まされていると聞いたことがある。小笠原もそんな風にならなければ良いけど。 野口さんは現在も、あちこちの山の清掃登山の旗振り役となっているようだ。 といっても、別に野口さんがきっかけでエベレストの本を読んでみようと思ったわけではない。 きっかけは2年くらい前に見たショーン・ペンが監督した映画「イントゥー・ザ・ワイルド」だった。 これは、裕福なアメリカ人の青年が、一人放浪の旅に出かけ、最後にはアラスカの荒野で餓死するという、実話に基づいた衝撃的な話だった。 その映画が良かったから、後で「荒野へ」と言う題名の原作本を買って読んだのだけれど、その中でライターでありながら登山家でもある著者のジョン・クラカワーが、「世間ではこの青年のやったことは無謀と言う声を多く聞くけれど、この青年と自分にはそんなに差がない。自分はただ運が良かっただけだ」と語っているのが印象に残った。 で、そのクラカワーが「荒野へ」以前に書いて、アメリカでベストセラーになった「空へ」という本を、アマゾンの「欲しいものリスト」に登録しておいたのだが、それを最近になってやっと購入して読んだのだ。 そこにはエベレスト登山の実態があますところなく描かれ、私のような登山音痴の人間には、晴天の霹靂みたいな話だった。 なにしろ私は、どこの山にせよ世界的高峰を登る人たちのサポートするのがシェルパだと思っていて、エベレストのふもとにシェルパという民族がいるという事もこの本を読んで初めて知ったくらいで、自分の無知さ加減にいい加減あきれ返った。 ただ、シェルパ族の事はさて置いても、エベレスト登山の実態なんて大抵の人はあまり知らないんじゃないだろうか。 中で私が一番を驚いたのは、エベレストに登ろうとする人の多さだ。 南極にもツアーで行けるくらいの昨今、さっき書いた野口さんの話ではないが、麓のトレッキングくらいなら人も集まるだろうとは思ったが、この本では同じ日程で50人くらいの人たちが、エベレストの山頂目指して登っていくのである。 高尾山ではなく、エベレストに! その人たちをサポートするために、ベースキャンプにはなんと400人から500人くらいの人たちが待機しているという。それじゃあゴミもたくさん出るだろう。 だからといってそこはエベレスト。高尾山ではないのだ。 なにしろ登山者たちは、過去に遭難した人たちの遺体の横をすりぬけて頂上を目指すというのだから。 エベレストには140体くらいの遭難者の遺体がそのまま放置されているのだそうだ。 そういうのを読むとまるで「人間たちよ、山を甘く見るな。」と山の神さまが警告しているようにも思えるのだが、案の定、この本に書かれた1996年5月、エベレストはかつてない大遭難に見舞われた。 大体、エベレストがなんでこんなに混雑するのかといったら、それはエベレスト登山が一般の旅行同様、公募によって参加者を募っているためと、それから登れる時期が非常に限られているという事情にあるらしい。 この遭難事故に見舞われた5月10日前後、実に7つの登山隊が頂上を目指して登攀を続けていた。 エベレスト登山に公募ツアーで参加している人が多数いるというのも、この本を読んで初めて知ったが、いまやお金にゆとりがあって好奇心旺盛な人々は、世界中のどんな秘境でもツアーで出かけていく時代。エベレストも例外ではないってことかもしれない。 なんでもプロのクライマーにしてみれば、エベレストというのは天候さえ良ければ技術的には決して登攀が難しい山ではないそうだ。 でもエベレストはエベレスト。 公募の参加者たちも皆それ相応のクライミング経験を持った人たちらしいが、その技量に関してなんらかのチェックやテストが行われたりするわけではない。 これらのグループの中で、ニュージーランド人ガイドロブ・ホールの隊には、日本人クライマーの難波康子さんも含まれていた。 難波さんは日本人女性では初の7大陸最高峰の登頂を目指し、見事このエベレストでそれを成し遂げたが、その直後下山の途中で激しいブリザードに巻き込まれ行方不明になる。 そのニュースは日本でも大きく報道されたらしいが、残念ながら私はよく覚えていない。 この本では康子さんの死の間際の様子なども詳しく語られているのだが、その描写は遺族が読んだらいたたまれないだろうと思うくらいも悲劇的だ。 それ以外にも、この隊の中では隊長のロブ・ホール自身とガイドと顧客の3名が遭難死している。 この遭難事故に巻き込まれた人々の中には、もう一つの公募隊であるアメリカのスコット・フィッシャー隊のメンバーがいた。 この隊のメンバー数名と、ロブ・ホール隊のメンバー数名が頂上から一番近くの第4キャンプにあと400メートルくらいのところで嵐の為に動けなくなっている所を、スコット・フィッシャー隊のロシア人ガイドであるアンドレイ・ブクレーエフに発見され、中で歩けそうな何人かはブクレーエフによって救助される。 フィッシャー隊でも隊長のスコット・フィッシャーが、頂上付近の岩場で動けなくなり、後に遺体で発見される。 でも、ブクレーエフのおかげで隊長以外の他のメンバーの命は、一人も失われずに済んだ。 ブクレーエフは嵐の中、生命の危険を顧みず3度も遭難者の捜索に向かい、その行動は英雄的と讃えられる一方、思いがけずに非難を浴びることともなった。 なぜならブクレーエフは嵐になる以前に、顧客たちを残して一人でさっさと7900メートル地点に設営されていた第4キャンプに戻ってしまったからだった。 自分の決死の行動にもかかわらず、非難を浴びたブクレーエフも、後にこの遭難に関する「デス・ゾーン」という本を出している。 「空へ」に続けてこの本も読んだ。 プロのライターであるクラカワーが自身の手によって事の顛末を書いているのに対し、ブクレーエフの本は、ブクレーエフの体験談と著者であるウェスタン・デフォルトというライターによって試みられた他のメンバーへのインタビュー、そこに著者独自の視点が加えられた構成になっている。 当事者であったクラカワーの本が些か感傷的なのに対して、ノンフィクションライターであるウェスタン・デフォルトの筆致はもう少し冷静だ。 当のブクレーエフは、自分が先に下山したのは、あくまでスコット・フィッシャーとの合意に基づくものだと主張している。 もしもブクレーエフが先に下山せず、顧客たちに付き添っていたならば、悲劇はここまで大きくなる事はなかったのだろうか。 それともブクレーエフの主張どおり、ブクレーエフが先に下山したからこそ複数の人々を助ける事が出来たのだろうか。 その答えは神のみぞ知るだろうが、少なくとも第4キャンプにはへとへとに疲れきっていたとはいえ、ブクレーエフ以外のメンバーやシェルパがいたにもかかわらず、助けに行ったのはブクレーエフだけだったという事実は見過ごしには出来ない。 そのブクレーエフ自身も、この本の刊行直後、アンナプルナという山で雪崩により遭難死している。 この二つの隊は、ロブ・ホールとスコット・フィッシャーという、共にベテランのクライマーである隊長を失う事になったが、そもそも何がこれほどの遭難事故の原因になったのだろうか。 門外漢がこんな事を言うのはおこがましいかもしれないが、営利目的にしろそれ以外の目的にしろ、エヴェレストに登ろうとする人たちがあまりにも多すぎはしないだろうか。なにしろこの日、頂上近くの最大の難所であるヒラリー・ステップという岩場には、40人くらいの列が出来ており、進もうにも進めず時間が相当押してしまったらしいのだ。 そこで勇気を持って撤退を宣言するのが隊長たるものの役目と普通の人々は思うのだが、これらの公募登山を企画する人々は、それぞれアドベンチャーツアーの会社を経営することで、糊口を凌いでいるのだ。 これらの本に登場するプロのクライマーたちは皆、登山こそが生きる証しと思っているような人たちなのだが、いかんせんただ山に登っているだけでは食べていけない。そこでガイドをやったり、ツアー会社を経営しているのだが、どの一人をとっても生活は楽ではない。 おまけにこのツアーには、ライターのクラカワー以外にもフィッシャー隊にサンディ・ピットマンというテレビの花形ジャーナリストが同行していた。 隊長たちは自身の顧客に対して、山頂への到着時間を指定しており、その時間を過ぎたらと登頂はあきらめるよう言い含めていたにもかかわらず、自らその時間を大幅にオーバーしても登山を続けた。 二人の隊長のこれらの行動については、同時期に山にいた他の隊の隊長たちも疑問を投げかけている。 そこで思い出したのが、日本の大雪山系トムラウシ山で8人が死亡した遭難事故。 あの時もガイドの判断ミスが指摘されたが、山の規模の大小はあれ、遭難にいたるメカニズムは非常に似ているような気がする。 なんだかんだ言ってもガイドはサービス業。 かかった費用に対してどれくらいお客を満足させられたかは、どうしたって気になるところだろう。 まして、このエベレスト登山で徴収された金額は一人6万5000ドル(当時のレートで約700万)。 客を満足させられなかった場合、次のツアーに人が集まるか、経営者としては頭の痛い所に違いない。 さらに運が悪い事に、予定が押していたにもかかわらず、この日は午後になっても天候に不安な兆候はあまり見えなかったらしいのだ。 結局二人の隊長は遅れた人々のフォローに廻っている間にブリザードに巻き込まれ、山頂付近で凍死する。 なんとも痛ましい限りだが、そんな中、ひとつの光明となるエピソードがある。 それは、難波康子さんと二人で雪原に置き去りにされたベック・ウェザースに関する物語で、この遭難事故の話の中で一番驚かされたエピソードだ。 このアメリカ人クライマーのベックは、ロブ・ホール隊の顧客としてツアーに参加していたが、下山途中で難波さんたちと共にブリザードに巻き込まれる。 数名のクライマーと共に身を寄せ合って避難しているところにブクレーエフが来るのだが、その時ベックと難波さんは既に意識も朦朧とし、立ち上がることも出来ないほど弱っていた。ブクレーエフは仕方なく二人を諦め、他のメンバーを救助する。 その後、天候がいくらか回復した後、ブクレーエフに変わって顧客で心臓医のハッチスンという人物が二人を探し当てるが、その時は二人とも虫の息で、医師の目で見ても助かる見込みはなく、二人はそこに置き去りにされる。 その時の二人の居場所は第4キャンプから数百メートルしか離れていなかったのだが、そもそもそのキャンプ自体が、標高7900メートル地点に位置しているのだから、そこからベースキャンプまで降りるには、さらにいくつかの難所を通らなければならなかったのだ。 ところがベック・ウェザースはその数時間後、奇跡的に意識を取り戻し、殆どゾンビのような状態で第4キャンプに戻って来た。 後にウェザースは、この時の経緯と、うつ病を克服するために登山に情熱を傾けた日々の事や、事故後に行われた凍傷の手術の後の想像を絶するような痛みと戦った毎日、そして登山に没頭し過ぎて失われかけていた家族との絆を、事故を契機に取り戻した話などを本にして出版する。 私が読んだ3冊目の本「零下51度からの生還」がそれだ。 エベレストで死にかけていたベックは瀕死の状態の中、長い間ほったらかしにしていた家族があたかも目の前にいるような幻覚を見て、死の淵から甦ったのだ。 そして夫が生きていると知らされた妻ピーチの多方面への必死の働きかけにより、危険を承知でヘリコプターによる救出を試みてくれたネパール空軍の中佐によって、無事ふもとの街まで運び下ろされた。 エベレストという大自然の中で繰り広げられたこれらの人々の物語は、それぞれになんだかとても人間臭いお話なのだった。 因みに、この遭難事故は「エベレスト死の彷徨」という題名で映画化もされており、現在ニコニコ動画で見ることが出来る。 低予算らしく、あまり出来の良い映画というわけではないが、事故の経緯をざらっと知るにはお薦めだ。 その後もエベレストに登る人たちは後を絶たず、この遭難の年に98人だった登頂者数は、2007年にはなんと631人まで激増している。 ただ流石に、最近ではゴミは持ち帰るようになってきたらしい。 日本の最高峰の富士山は、ゴミのせいで世界遺産に登録しえもらえないらしいが、中村玉緒の言うとおり、人のいる所にやっぱりゴミは出るのだ。 ネットで見つけたエベレストに関する記事 エベレスト登頂者、山の恐怖を伝える 2010年5月30日 ルート周辺に横たわる登山者の死体 5月25日に7人の隊員とともに世界の最高峰エベレスト登頂に成功した、SA州出身のダンカン・チェッセル氏(39)がネパールからAAP宛に写真を添えて電子メールを送ってきた。 チェッセル氏はエベレスト登頂3回という記録を持っているが、電子メールでは、「登頂成功を素直に喜べない。登山中に他の隊で2人が死亡し、登山ルート周辺に横たわる遭難者の死体をいくつも見た」として、近年、気軽にエベレスト頂上を目指す風潮に釘を刺している。 電子メールのメッセージは、「8848mの頂上にたどり着いた25日は最悪の天候だった。同日、日本隊で隊員一人が危険な状態になったという通報があったが、そこにたどり着いた時には既に亡くなっていた。また、私たちと同じ頃に頂上に立ったアメリカ隊の一人が下山途中で亡くなったが、私たちも助けることができなかった」としている。また、遭難者の死体の写真も添えられており、「これは、山での死という現実を知ってもらいたい」と述べている。 さらに、「シェルパのチームが、エベレストのネパール側で遭難者の回収に努めていることは知っている。この写真の死体はいずれも8000m以上の「死の地帯」と呼ばれる特に危険な区域にあった。この区域では死体の回収も危険が伴い、場合によってはまったく不可能だ。死体は凍結し、雪や氷に埋もれている。遭難者が出るほど酸素が薄く、厳しい気象条件の中で死体を回収するというのはそれ自体が非常に危険なことだ」と述べている。 チェッセル氏は、2001年、2007年、2010年と3回の登頂に成功しているが、「登山を手配する会社には悪質な会社も多く、人命をもてあそんでいる。一方で、ルートが雑踏化するほどいとも簡単に登れると錯覚した人たちが登頂フィーバー」にとりつかれて押し寄せる」ことに警告を発している。 チームが頂上に立った時は、30ノットから40ノット(秒速15mから21m)の風が吹き、気温はマイナス26度だった。(AAP) エベレスト登頂者に関する資料はこちら ※下記の広告はExciteの営業活動の一環として掲載されるもので、主催者が載せているものではありません
by chiesan2006
| 2011-11-13 22:28
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