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2013年 07月 04日
このところモチベーションが下がっちゃって、本を読むペースも遅いし、映画館にも足を運ばず、家でDVDを見る気も起きず、ましてブログの更新なんてさっぱりする気が起きない。 でも久しぶりに映画を見に行って、なんじゃこりゃと思ったので3か月ぶり位に映画の感想を書きます。まあ、楽しみにしている人も別にいないとは思うけど。 見た映画は「華麗なるギャツビー」。 言わずと知れたスコット・フィッツジェラルド原作の同名小説の映画化で、主人公のギャツビーをレオナルド・デュカプリオが演じているのだが、私の年代で「華麗なるギャツビー」と言ったら1974年のロバート・レッドフォード主演の作品を思い出す人が多いだろう。 この映画では主人公のギャツビーのファム・ファタールであるデイジーを誰が演じるかが話題になり、「ある愛の詩」で人気が爆発したアリ・マッグローとミア・ファーローが争った結果ミアが役を射止めた。 もうだいぶ前の話なので記憶が定かでないのだけれど、確か私は映画を観る前に原作を読んで、どちらの女優も原作のイメージじゃないなと思った覚えがある。 ミア・ファーローはそのちょっと前に主演した「フォロー・ミー」を見たときから大好きだったのだが、アリにしてもミアにしても、一人の男性の運命を狂わせる上流階級のお嬢様にはどうも見えなかった。 私自身が若かったせいでそれ以前に演じた役のイメージに捉われがちで、想像力が働かなかったせいかもしれないが。 今回は「17歳の肖像」でアカデミー主演女優賞にノミネートされて以来売れっ子になったキャリー・マリガンが演じているが、私としてはマリガンみたいなファニー・フェイスのポッチャリ系(「シェイム」のヌードシーンを見た限りにおいて)ではない、スレンダーな美女に演じて欲しかった。 映画も見たし原作も読んだ割には主人公が一人の女性をひたむきに思い続けるという以外、ストーリーはあまり明確には覚えていないのだが、この映画自体主演のレッド・フォードを含めてあまり評判が良くなかった記憶がある。 ただ、原作の繊細さには心ひかれた覚えがあり、それ以後フィッツジェラルドの小説で翻訳されている作品は結構せっせと読んだ。 原作は当時から人気が高かったようなのだが、現在ではこの小説はアメリカの高校の必読図書みたいになっているらしい。 ただ、ポピュラーな人気はあるもののれっきとした文学作品である本作が、どういう訳か今回の映画化では3D映画として蘇った。どうりで、予告編を観たときから前作とはだいぶ違う感じがした訳だ。 私はこの作品を3Dで観る意味がわからなかったので、2Dで鑑賞したけれど、なるほど前半の絢爛豪華なシーンの数々には、2Dで観ていても3Dを意識して作ったと思われる画面が多々見受けられた。 以下あらすじ(多少ネタバレあり) 1920年代のウォール街。 そこで働くニックは、何らかのトラウマが原因で精神科の治療を受けていた。 医師はニックに、トラウマを克服するために過去の思い出を書き記すように進める。 進めに従ってニックは回想録を書き始める。 ニックがかつて住んでいたロングアイランドの住居の隣には大豪邸があり、そこでは夜ごと派手なパーティーが開かれていた。 屋敷の主ジェイ・ギャツビーには様々な噂があるものの、どのようにして財を成したかは誰も知らないという謎の人物だった。 ニックにはトム・ブキャナンという実業家の元に嫁いだデイジーという従妹がいるのだが、デイジーを通じてトムと友人になったニックは、トムにマートルという人妻の愛人がいることを知る。 そんなある日、ニックの元に突然ギャツビーからパーティーの招待状が送られてくる。 恐る恐るパーティーに出かけたニックが目にしたのは、度胆を抜かれるほど絢爛豪華でその上破天荒なパーティーだった。 そこでギャツビーと知り合ったニックは、ギャツビーから以外な事実を聞かされる。 実はギャツビーは以前デイジーと恋人同士だったことがあるのだが、戦争に従軍したために引き裂かれたというのだった。 けれどもギャツビーは従軍中もデイジーの事が忘れられず、戦後これほどの財を成したのも、ただデイジーを自分の元に取り戻したかったためだというのだ。 トムに愛人がいることを知っているニックは、ギャツビーの願いを聞き入れ、二人が会うお膳立てをするのだが・・・・。 フィッツジェラルドの作品は長編、短編含めて7冊くらい読んだ。 フィッツジェラルドの作品に特徴的なのは、独特の文章で表現される繊細さと哀感、それからままならない人生を送らざるを得なくなった登場人物たちへの優しい視点といった点にあるのではないかと思う。 この映画がそれらの特徴を的確に表現できているかと言うと甚だ疑問だ。 3D作品の面目躍如たるような華やかなシーンが連続する前半にせよ、打って変ってシリアスな人間ドラマが展開する後半にせよ、原作にくらべると些か演出過剰と言わざるを得ない。 批評家のレビューサイトRotten Tomatoesでは110件の批評家レビューで支持率は44%、平均点は5.8/10で、『ウォール・ストリート・ジャーナル』では「派手な衣装と美術がこの映画に出ている役者の感情表現を駄目にしている。」と評されたそうだ。 でもさっきも書いたように74年のロバート・レッドフォード版もあまり評判が良くなかった。 この物語、ストーリー自体は案外シンプルで、日本の小説で言ったら「金色夜叉」みたいな話、金持ちに嫁いだ元の恋人を金の力で取り戻そうとする話だ。 それがこれほど長年に亘ってポピュラーな人気を得ているのは、シンプルなストーリーに肉付けしているフィッツジェラルドの文章に、並々ならない魅力があるためだろう。 それを損なわずに映像として表現するのは、かなり難しい作業のようだ。 今回の映画は「ムーラン・ルージュ」でヒットを飛ばしたバズ・ラーマンが監督にあたっているが、前半のパーティーシーンはまさに「ムーラン・ルージュ」を更にゴージャスにした雰囲気があり、まして3Dとなれば、原作に拘らない限りそれなりに見応えはあるだろう。 現に、ユーザーレビューの評価は必ずしも悪くないので、3Dが観客動員に一役買っているのは間違いなさそうだ。 バズ・ラーマン監督は前作「オーストラリア」では案外手堅い演出を見せていたのだが、やはり何度も映画化されている原作を撮るにあたっては、従来と違った新機軸を打ち出す必要があったのかもしれない。 ただこの映画、後半になると前半のゴージャスさは影をひそめ、レオ様をはじめとした出演者の白熱した演技バトルが繰り広げられ、前半はどちらかというと狂言回し的なニックの出演シーンが多いのだが、後半になって漸くレオ様の演技の見せ場がたくさん登場する。 そちらもそれなりに見応えはあるのだが、さっきも書いたように私としてはそれもちょっとやりすぎなように感じられた。 この作品ではフィッツジェラルドがギャツビーに自分自身を、デイジーに妻のゼルダを投影していると言われている。 社交界に憧れていた二人は夜ごとパーティーに明け暮れていたというから、案外この映画のゴージャスな雰囲気を作者自身は気に入るのではないか、などということもちょっと思ったが。 ユーザーレビューには1949年のアラン・ラッド版が一番良い、と書いている人もいたが、私はこの作品は未見だし、現在はソフトも絶版のようだ。この作品は邦題が「暗黒街の巨頭」とされているが、今回の映画ではギャツビーの背後にギャングがいるような気配は漂わせているものの、何をしているかは定かにはされていない。 これは原作も同様だと思う。 「華麗なるギャツビー」はそういったことを描くのが主眼の作品ではないが、40年代といったらハリウッドでは盛んにギャング映画が作られていた時期なので、日本の配給会社がまた適当な邦題を付けたのか、はたまた、作品自体にそういった脚色がなされていたのか・・・。 まあ、今の時代の作品だったら読者にせよ観客にせよ、その辺の描きこみがもう少しなされていないと納得しなさそうではある。 ギャツビーは結局デイジーのために破滅の道を行くことになるが、フィッツジェラルドもゼルダと共に社交界での奔放な生活に明け暮れたおかげで、常に金銭的なトラブルに見舞われていたそうで、その挙句深酒がたたって44歳という若さで急逝する。 フィッツジェラルドは後に「夜はやさし」という小説を発表するが、この小説には不安定な妻に翻弄され転落していく精神科医が描かれており、こちらも自伝的小説と言われている。 フィッツジェラルドにとってゼルダとの出会いはそれほど運命的だったという事なのだろう。 「華麗なるギャツビー」は上記の作品以外にも、2001年にイギリスのテレビドラマで活躍するトビー・スティーヴンス主演、デイジーをミラ・ソルビーノが演じているテレビ映画がある。 ミラ・ソルビーノのデイジーにはちょっと興味があるので、今度借りて観てみようかな。 ※下記の広告はExciteの営業活動の一環として掲載されるもので、主催者が載せているものではありません
by chiesan2006
| 2013-07-04 02:15
| 映画
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