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2009年 03月 11日
洋楽を聴き始めたのは中学生の頃からだけど、その頃から今に至るまでの間、音楽に関してはフォーク、クラシック、ジャズ、ロック、Jポップ、となんだかしらないけど興味の対象がいろいろ変わった。でも、その間ハードロックとかヘビメタというジャンルに興味を持った事は残念ながら一度もない。
だからとってハードロックの曲を全然聴いた事がないか、といわれるとそういうわけでもなく、一時元気付けのためにZZトップというおじさんハードロックバンドの曲を聞きながら、会社に通っていた事もある。 要するにジャンルとしてハードロックをまとめて聞いた事はないけど、個々にいえば好きな曲やグループもない事はなかった。 それになんだかんだいっても、ハードロックというのは誕生した当時から話題性もあったし、人気のグループもたくさんあり、ヒット曲も多く生まれたので耳に入ってくる機会もかなりあった。 初期のハードロックバンドで私の頭に最初に浮かぶのは、なんといってもディープ・パープル。(この頃にはまだヘビーメタルという言い方はなく、それが広まったのは多分70年代の後半くらいからだと思う) 当時このグループが放った「ブラック・ナイト」が大ヒットしたおかげで、普通の洋楽を聴いてた私のような女子の間でも、世の中にハードロックというジャンルがあるんだという認識が一気に広まった感じがする。 ハードロックというだけあって、女子にはちょっと取っ付きにくい音楽だったけど、男子には嵌る子もかなりいた。 それ以外にはグランド・ファンク・レイルロードなんかも人気があったけど、なんといってもこれらのバンドからちょっと遅れて大爆発したのがレッド・ツェッペリンなんじゃないかと思う。(調べてみたらこれらのグループ、ほとんど同じくらいの時期にデビューしているようなのだが、私の中ではレッド・ツェッペリンはちょっと遅れて人気が出た印象がある) ファンの間ではアクセントに抑揚なく「ツェッペリン」と呼ばれるこのグループ、なんといっても強烈だったのはヴォーカルのロバート・プラントの歌唱法。 といっても、とりたててハードロックファンというわけではなかった私が覚えているのは「ブラック・ドッグ」という曲だけなのだが、この曲で聴いたロバート・プラントの嗄れ声のハイトーンボイス。 この歌い方、女性ロッカーの草分けといわれるジャニス・ジョップリンにそっくりだったけど、男性ヴォーカリストのこんな歌い方は、この人以前には全く聴いた事がなかった。 だいたい女性なのに嗄れ声でシャウトしまくるジャニス・ジョップリンが現れた時には本当に驚いたけど、男性なのにこんなに高い声で叫ぶように歌うロバート・プラントにも、また逆の意味で驚かされた。 私のように洋楽と言ってもポップス中心に聞いていた人間が驚いただけでなく、当時ロックをやってたミュージシャンの中にもクイーンのフレディー・マーキュリーやエアロスミスのスティーヴン・タイラーなど、影響された人は多かったらしく、日本でもXジャパンのTOSHIやB’sの稲葉浩志などが直接的かどうかはわからないけれど、間接的に影響を受けている事は間違いないだろう。 スティーヴ・ペリーもその中の一人と考えていいだろうと思うけど、今回Wikipediaで二人の経歴を調べた所、驚いた事にこのふたり、たった1歳しか年齢が違わなかった。 でも、この二人、デビューした年やブレイクした時期にほぼ10年くらいの開きがある。 要するにロバート・プラントは早熟の天才肌の人、それに対しスティーヴ・ペリーは遅咲きの苦労人って事なんだろう。 なにしろスティーヴ・ペリーはデビューした後、所属していたバンドのメンバーが事故死して、その後鳴かず飛ばずになって一時郷里で農業をやっていたのだそうだ。 先月書いたように、私はスティーヴ・ペリーの「オープン・アームズ」を聴いて感激してしまい、ここのところペリーと共にジャーニーのアルバムもせっせと聴いているのだが、それらを系統だって聴いてみると、スティーヴ・ペリーの歌唱法が叙々に変化していっているのがわかる。 大体私は、ハードロックというのがブルースを母体にしているということも、70年代に人気があったバンドはツェッペリンも含めイギリスのバンドだったという事も、今回調べて始めて知ったのだけど、80年代に入るとジャーニー、ボンジョビ、ヴァン・ヘイレンなど、ハードロックの人気バンドがアメリカにシフトしていったようだ。 この前も書いたように、この頃MTVという番組用にミュージシャンが盛んにプロモーションビデオを作り始めたので、私もこのあたりのバンドの演奏する姿はテレビでたびたび見るようになった。 ジャーニーの姿をはじめてテレビで見たのは、多分1981年にヒットした「クライング・ナウ」が最初だったんじゃないだろうか。 この頃バンドはキーボードプレイヤーがジョナサン・ケインに変わり、楽曲がぐっとメロディアスになってこの曲を含んだ「エスケープ」というアルバムは大ヒットしたようなのだが、私としてはスティーヴ・ペリーが最初にグループに加わった「インフィニティ」というアルバムも相当良いと思った。 なにしろこの頃のペリーの声は正に天井知らず、ギター演奏に重なって、きーんという高音の別のギターの音がしていると思ったら、実はそれがペリーの声だったりするのだ。 その上楽曲はブルースの影響を強く受けた感じのスローな曲が多く、それをまったりと歌い上げるペリーの歌唱法は納豆唱法といってもいい位の粘っこさで、それがまた、その繊細なんだけど嗄れた声に実に良く合っている、と私は思った。 でもこの歌唱法、時が経ち、メンバーが変わるにつれ、次第に失われていってしまう。 例えて言えば、この頃のスティーヴ・ペリーの声はウィーン少年合唱団のボーイソプラノみたいなもんだったのかもしれない。 今は便利な世の中で、YouTubeを見ると、昔のバンドの演奏している姿がいくらでもみられるので、ロバート・プラントが歌っているクリップも幾つか見てみたけれど、嗄れ声のハイトーンという共通点はあるものの、ロバート・プラントの荒削りな歌唱方に対して、スティーヴ・ペリーの声は格段に完成度が高い。要するにペリーは歌が圧倒的に上手い。 ロックの歌手としてどちらの声が適してるかという事は一概には言えないと思うけど、ジャーニーはこのように歌の上手いスティーヴ・ペリーと、ジョナサン・ケインのメロディアスな楽曲、オリジナルメンバーのニール・ショーンの卓越したギタープレーなどが相まって、メロディアスハードロックなどと言われ、80年代に入ると俄かにスーパーロックグループにのし上がった。 でも辛口の批評家にはジャーニーのこの路線を、商業ロックといって嫌っていた人たちもいたそうだ。 確かに、メロディアスという言葉のニュアンスはハードロックとは相反する感じで、つなげるのは無理がある、とは私も思うけど。 この頃、洋楽の世界では「AOR」(アダルト・オリエンティッド・ロック)というジャンルが流行した。 いわゆる大人のための洗練されたロック、といった意味だけど、ロックという音楽のジャンルがこの世に誕生した当初には、ロックは既成概念や体制に対する反抗心を表現する若者の音楽、と位置づけられていたはずで、それから考えると、このジャンルもなんだか相反する二つの概念を無理にくっつけている感じは否めない。 大体ロックのスーパーグループとなった最初の世代の人たちは、現在60歳を優に超えているけれど、にも拘らずプレーしている人たちも大勢いる。 その人たちの何人が、自分たちがロックをやり始めた時、60歳過ぎてまだプレーしている姿を想像しただろう。 ロバート・プラントはその歌唱法と苛酷なツアーのせいで、デビューして何年か経ったら喉を痛め、歌唱法を変えざるを得なくなったそうだが、にも関わらずグループ解散後、60歳になる現在まで歌い続け、2009年にはグラミー賞を獲得した。 やはり高音域で歌うクイーンのフレディ・マーキュリーは、ボーカルレッスンによって、声帯に負担をかけにくくしつつもパワフルな歌唱に移行していったそうだ。 でも、スティーブ・ペリーはそういった事は何もせず、ただひたすら歌い続けたらしい。 ジャーニーの最盛期のツアーの回数は3年間で360回にも登ったそうで、つまり3日に一回、あのような喉に負担の掛かかりそうな歌唱法で歌い続けたということだ。 喉は楽器じゃないんだから、きっと声はちょっとづつ出にくくなっていたはずだし、それを一番感じていたのは当然本人だっただろう。 オペラの歌手は年配になっても美しい声を保っているが、あのパバロッティだって、年を取ってから舞台に立った時には、声が掠れる不安にはいつも付きまとわれていたと言っていた。 スティーブ・ペリーは1986年にジャーニーを脱退する。ペリーがジャーニーを脱退してしまった事に関してはいろいろな事が言われている。 大方のグループにありがちな、メンバー間の意見の相違という話も挙がっていたし、苛酷なツアーが嫌になったという話もあった。Wikipediaには肺の病気になったと書いてあった。 CDの解説には、ソロアルバムが大ヒットしてしまったので、もうジャーニーと一緒にやる気がなくなっちゃったんじゃないか、何て書いてあるものもあった。 ジャーニーは96年に再結成され、その時作ったアルバムがどうやらグラミー賞にノミネートされたらしい。 この頃のスティーヴ・ペリーは若い頃のような突き抜けるような高音は出ないものの、表現力や声量は相変わらず素晴らしい。 が、2年後、ツアー直前にペリーが再び脱退してしまう。 その事に関してもいろいろ憶測が飛んだようだが、真相はどうやらツアー直前にペリーがハワイでハイキングか何かしていて、ぎっくり腰みたいなのになったらしい。 YouTubeのこちらに「Journey and Steve Perry story 」というのが5回に分けて投稿されていて、そのあたりのいきさつも語られてるのだが、なにせ私の語学力ではよく判らなかった。興味のある方は行ってみてください。 その後ペリーはグループに戻る事はなく、ソロの歌手としてもあまり活動していない。 中世のヨーロッパには去勢という過激な手段を講じてまで、少年期のボーイ・ソプラノを保とうとしたカストラートという歌手が多く存在したという。 それに対し、声が嗄れるかもしれない可能性をもど返ししてパフォーマンスを続けたスティーヴ・ペリーは、それとは逆の意味で過激だったんじゃないかな、と私は思う。 そういう人に対して商業的なんて、言えるんだろうか。 ペリーは標準的な観点からしたら、まだまだ優れた歌い手であった40代の半ばで、ほとんど歌うことから身を引いてしまう。 それは経済的に困らなくなったからだという見方も出来るかもしれないが、別に経済的に困っているわけではないだろうけど、歳をとって尚、音楽活動を続けているロッカーはたくさんいる。 なんか私には、歳をとったらさっさと普通おじさんになったスティーヴ・ペリーの潔さが、却ってロッカーとしてカッコいいな、なんて思えてしまう。
by chiesan2006
| 2009-03-11 23:08
| 音楽
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